^ザ晴海レジデンス

さて、今日は通院日ですね。
大野までどうやって行くか悩みましたが結局、カブで行くことにしました。
ところが手と足の包帯がとれたはいいものの右手が痛くて運転できません。
ごまかしながらなんとか運転して大野駅に着きました。

ここからは電車なので問題ないです。
定刻にクリニック到着。
すぐに診察も受けられ、お会計です。
上限金に達したので、クリニックでのお会計は220円でした。
有り難たや、自立支援法。

そのまま調剤薬局まで戻って受け取りです。
『ハルシオン』貯まりました!
新パッケージの『ロヒ』も2シート確保。
『デプロメール』も貯まってきました。
大満足で家に帰りました。

おくすりの整理に小一時間かかりました。
おくすりケースに入れて、就寝前の薬は缶に入れました。

夕食摂ったらなんだか眠くなりました。 ザ晴海レジデンス

^グランドガーラ代田橋

そして上記以外の論証やデータも示した後で、彼は言う。20世紀末の気温が前世紀より高いことは疑問の余地がない。だがそれだけで凄まじい地球温暖化の証拠にはならない。なぜなら今は小氷河期から抜け出す途上にあるからだ。マンの言うように現在の気温が過去1千年間のどの時代より高くなっているという主張は、データが海上や夜、冬の気温を含まず、さらにほとんど全部が北アメリカのデータという点から考えると、必ずしも説得力がない。

つまり「現在、データの空間的およびスケール上の大幅な不一致が見られる以上、地球全体はもとより半球レベルの気候変動ですらきちんと表現している気温データが十分かどうかは疑わしい」との結論だ。

ちなみにそもそも過去100万年の間に地球は、太陽を回る公転変化の原因から、氷河期4、間氷期4の計8回の変化を経験している。完新世と呼ばれる現在の第四間氷期は約1万年前に始まったが、この完新世の初めごろの温度は、おおむね20世紀より暖かかった。前記のように現在は100年前より暖かいが、その差は0・6度ほどだ。ここで述べたような地球の長期システムから見ると、これくらいの気温上昇は、どうということはないと見たほうが正しそうだ。 グランドガーラ代田橋

^クレストシティレジデンス

左胸が猛烈に痛いです。
クリニックに行くため、今日は訓練を休みました。

朝一で行くと混雑するので、11時過ぎに行きました。
レントゲン撮って、異常はありませんでした。
『貼り薬』と痛み止めの飲み薬もらって帰りました。
バイクもなんとか運転できます。

右手首が痛いのですが、言うとまた大袈裟になるので言いませんでした。
とにかく、左胸と右手首が痛い。特に右手首。
これが治らないことには、どうしようもありません。

とりあえず、バイクに乗れましたが、運転しているだけで痛い。
長距離の運転も土曜日に経験済み。

『貼り薬』も『ロキソニン』なんですね。
製薬会社が違いますが…

とりあえず、薬飲んで安静にします。 クレストシティレジデンス

^グランド・ガーラ五反田

2番目は、研究者たち。彼らは、自分がそれに賛成しているか否かに関わらず、自分たちが関わるテーマに世間の注目が集まれば、予算が増え、仕事も継続できる。とくにスパコンなどコンピュータ分野にこれは多い。3番目は各国の環境関係の役人。この人たちのこのテーマへの動機と利害は、上記研究者と同じ。

京都会議は、世界の上記3種の人々の有形無形の協同により、実現された。あの議定書で掲げられた目標は、前提も予測も誤っているので意味がなく、また不必要な努力に莫大なコストを掛け、その上各国の経済活動も停滞させるので、むしろ世の中には悪影響のほうが大きい。最後はジャーナリズム。この分野では「金になるニュースは、悪いニュースだ」とのある編集者の言葉が示すように、世の中や人々が不安に駆られ騒ぐニュースや研究、発表を、売るために重視し、喜ぶ傾向がある。
グランド・ガーラ五反田

|お買い物に行きました。 帰り

お買い物に行きました。

帰りにデパ地下に行くと、稚鮎が並んでいました。

稚鮎といっても、もうすでに10センチほどの大きさになっています。

天ぷらにしてみました。

稚鮎には思い出があります。

まだ、小学生の頃です。

母に連れられて、初めて滋賀県の祖母の田舎に連れて行ってもらいました。

祖母は母がまだ小さい頃に亡くなっていたので、私はあったことがありません。

当時、泳ぐというと、日本海に行くのが楽しみだった私は、田舎にそんなに魅力を感じていませんでした。

どちらかというと、いやいや連れて行かれた感じでした。

一日目はマキノです。

私が鶏が好きだというのを聞いて、家で飼ってる鶏をつぶしてカレーライスを作ってくださいました。

でも、鶏のその硬さと言ったら、初めての食感でこれが鶏????というくらいのものでした。

でも、ここで早朝に起きて、カブトムシやクワガタムシと捕まえにいったり、初めての体験が結構刺激的で楽しかったのです。

やっと慣れたころ、今度は琵琶湖沿いの親せきの家に移動することになりました。

塩辛くない海のような琵琶湖は、私にとっては何だか頼りなくで泳いでいても全然楽しくありませんでした。。。

子供のころから文句イイだったんですね。。。私って。。。

そのうち琵琶湖で地引網が始まると言われて、見に行きました。

琵琶湖での地引網なんて、初めてです。

見ていると、引き上げられた網の中には5センチほどの小さな小魚がいっぱい跳ねていて、近所の人たちがバケツを持って並んでます。

漁師さんのような人が、次々にそのバケツに捕れたてのピチピチした魚を無造作に汲み取って入れています。

それが、琵琶湖の稚鮎だったんです。

おばさんは早速すぐにその稚鮎を天ぷらにしてくれました。

ここでまた、せっかく出された揚げたての稚鮎を、「いらん。恵比寿の賃貸。(*゜▽゜)ノ。。」と、私。

母に美味しいから食べてごらん。と言われて、いやいや1匹つまんで食べてみました。

。。。その美味しいことと言ったら。。。

今でも忘れられません。

そのあと、パクパクといっぱい食べました(#^.^#)

今でも琵琶湖であれほどの稚鮎が取れることってあるんでしょうか?

そのあと、伯父さんのお嫁さんのご実家にも寄りました。

そこで、美味しそうなごちそうをたくさん並べていただいたのですが、田舎からいただいたおはぎがどうしても食べたくて、ごちそうをそっちのけにしておはぎを食べてしまいました。。。

もちろん、母にはたしなめられたのですが、お嫁さんが気を遣って「おはぎ食べたらいいのよ?」って言ってくれたので、それに甘えてしまったわけです。

後から、こってり絞られました。。。

それは、相手の御もてなしに対してとっても失礼なことだと。。。

初めてそこで、そういう気持ちを持つ大切さを知った気がします。

というか、我儘だったんですね。。。私って。

今はどうでしょう?

少しは成長してるのでしょか?(#^.^#)

帰ってから、硬かった鶏の話をすると、留守番組だった父が、硬い鶏をとっても懐かしがっていました。父はブロイラーが苦手らしいのです。

あのブヨブヨ柔らかい鶏は本当の鶏じゃないっていつも、父は言っています(#^.^#)

稚鮎を見ていると、あの時の光景がいつも思い出されます。

美味しい稚鮎と一緒で少しほろ苦い思い出です。